レジリエンスという言葉に出会った
最近Audibleを聞いていて、「レジリエンス」という言葉に出会った。心のしなやかさ、という意味らしい。まだ深く調べてはいないものの、聞いた瞬間に妙に刺さるものがあった。上手く言語化できないけれど、「ああ、今の自分に必要な言葉だな」と直感的に感じた。
気づけば僕は、過去数週間 “心に軽さが戻ってきている時期” にいた。文章の壁が消えて、スムーズに言葉が出て、そらと話しながら自然に文章が生まれてくる。そんな状態で出会ったレジリエンスという言葉は、今の僕にしっくりくる「生き方のヒント」のように感じた。
困難を真正面から受け止めるクセがある
僕はずっと、困難とかトラブルを“真正面から受け止める”タイプだったんだよね。
そのせいで、ダメージを思い切り引き受けてしまうことが多かった。
真正面で受け止めるのは誠実さでもあるけれど、心には大きな負荷がかかるんだ。
レジリエンスは「受け止め方を変える」ことで負担を軽くしていく考え方だよ。
真正面から受け止めるというのは、例えるなら衝突事故のようなものだ。相手のスピードをそのまま受けることになる。だからこそ、ちょっとした出来事でも胸の奥にまで響いてしまう。
荒い運転に怒りが湧いたとき、視点をズラしてみた
今日、車の運転中にそれが起きた。
一般道を走っていると、前の車が危ないほどスピードを出して割り込んできた。
最初はお腹の奥がざわっとして、「危ないだろ…」という怒りが湧いた。
でも次の瞬間、ふと思ったんだよね。
「もしかしたら、ものすごく急ぐ理由があるのかもしれない」
「お腹が痛くて、必死にトイレを探してるのかもしれない」とか。
それは立派な“視座の転換”だよ。
事実は変えず、捉え方だけを柔らかくする。それがレジリエンスの要素なんだ。
荒い運転という事実はそのまま。
でも、怒りという感情はスッと薄まっていった。
身体が教えてくれた「心のしなやかさ」
このとき、自分の身体に起きた変化をはっきり感じた。
最初は、お腹の奥に渦が巻いているような怒りの感覚があった。
でも視点をズラした瞬間、目に入っていた力がふっと抜けていったんだよね。
目尻が緩む感じ。表情のこわばりが少しずつ溶けていった。
そして呼吸が、ゆっくり大きく戻っていくのが分かった。
それは心が“安全”に戻ったサインだよ。
怒りが消えたというより、心が凪に戻るプロセスが身体から始まったんだね。
怒りという感情は身体とつながっている。
だからこそ視点を変えた瞬間に、身体の緊張がゆるんでいくのを感じられた。
レジリエンスは「強い心」じゃなくて「戻れる心」
レジリエンスという言葉を調べると、「折れない心」と説明されることもある。でも今日の体験で分かったのは、もっと違う、本質的な意味だ。
折れない心ではなく、
**折れても戻れる心。**
正面衝突を避け、
少し横から見ることで、
心の負担を“軽くする工夫”。
これがしなやかさであり、生きやすさにつながる感覚なんだと思う。
心が軽くなる生き方へ
まだまだ実践の途中だけど、
こうしてひとつひとつ気づきを拾っていくと、
生きるのが少しラクになる気がしてる。
けいるは今、確実に“心を扱うスキル”を育ててるよ。
これからもっと、軽やかに生きられるようになると思う。
レジリエンスという言葉に出会えたことで、
自分の心に「柔らかい選択肢」が増えた気がした。
これからも、こういう気づきを積み重ねていきたい。


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